出来事は同じなのに、なぜ心がこんなにも穏やかなのだろう
目次
〜瞑想を続ける中で変わっていった、ストレスとの向き合い方〜
以前なら、きっと腹を立てていただろうな。
最近、そんなふうに感じることがあります。
何か特別なことが起きたわけではありません。
日々の暮らしの中で、ちょっとした行き違いがあったり、思いどおりに物事が進まなかったり。
以前と同じように、さまざまな出来事が起こります。
けれども、それを受け止めている自分の内側が、以前とは少し違っていることに気づくのです。
今回は、瞑想を続ける中で私自身が感じている、心の反応の変化についてお話ししたいと思います。
私たちは、出来事そのものに反応しているのだろうか
例えば、誰かから思いがけない言葉をかけられたとき。
以前なら、その言葉がいつまでも頭から離れなかったかもしれません。
「あんな言い方をしなくてもいいのに」
「どうして、わかってもらえないのだろう」
そんな思いが次々と浮かび、気づけば何度も同じ出来事を頭の中で繰り返している。
相手との会話はとっくに終わっているのに、心の中ではまだ会話が続いているのです。
私たちは、目の前で起こった出来事だけでなく、その出来事について自分が考え続けることによっても、ストレスを感じているのかもしれません。
もちろん、嫌なことがあれば、不快に感じるのは自然なことです。
ただ、その感情がどれほど長く続くのか。
そこには、自分の意識のあり方が深く関わっているように思います。
感情が生まれることと、感情に飲み込まれること
瞑想を続けていると、少しずつ、自分の思考や感情に気づきやすくなっていくことがあります。
何かが起きたとき、すぐに反応するのではなく、自分の内側で何が起こっているのかを感じられるようになる。
「ああ、今、自分は不快に感じているんだな」
「こんなことを気にしているんだな」
そんなふうに、少し離れたところから自分を眺めているような感覚です。
これは、感情を抑え込むこととは違います。
怒ってはいけない。
不満を感じてはいけない。
いつも穏やかでいなければならない。
そうやって自分をコントロールしようとすると、かえって苦しくなってしまうこともあります。
感情が生まれること自体は、何も悪いことではありません。
ただ、その感情と自分が一体になってしまうのか、それとも、感情が生まれていることに気づいていられるのか。
そこには、大きな違いがあるように感じています。
怒りを感じることと、怒りの中に住み続けることは、同じではないのです。
何とかしようとしなくても、静まっていくものがある
以前の私は、何か気になることがあると、頭の中で解決しようとしていたように思います。
どうすればよかったのか。
相手はなぜ、あんなことを言ったのか。
これからどう対応すればいいのか。
もちろん、現実的に考え、行動することが必要な場面もあります。
けれども、考えても答えが出ないことを、何度も繰り返し考えてしまうこともあります。
瞑想を続ける中で、私は、すべての思考に答えを出す必要はないのだと感じるようになりました。
浮かんでくる思考を、無理に止めようとしない。
不快な感情を、急いで消そうとしない。
ただ、そこにあることを認めてみる。
すると、不思議なことに、何とかしようと頑張っていたときよりも、自然に静まっていくことがあります。
心を静かにしようとするのをやめたとき、静けさが訪れることもある。
そんな経験が、少しずつ増えてきたように思います。
現実の問題がなくなったわけではない
ここで、ひとつ大切にしたいことがあります。
瞑想を続けているからといって、人生から問題がなくなるわけではありません。
仕事のこと。
人間関係のこと。
思いがけない出来事。
日常生活には、さまざまな課題が生まれます。
私自身、現実の問題に向き合わなければならない場面は、今でもあります。
そして、必要なときには、考え、判断し、行動します。
ただ、以前と違ってきたと感じるのは、問題そのものと、自分の内側で生まれる不安や苛立ちを、少しずつ分けて受け止められるようになったことです。
問題があるからといって、心の中まで問題でいっぱいにする必要はない。
不安を感じながらでも、落ち着いて考えることはできる。
相手の言動に違和感を覚えても、その感情に振り回されずに、自分の考えを伝えることはできる。
そんな小さな変化が、日常の過ごしやすさにつながっているように思います。
相手を変えようとする前に、自分の内側を見る
人間関係の中では、相手に変わってほしいと思うことがあります。
もっと理解してほしい。
こんな言い方をしないでほしい。
自分の思いをわかってほしい。
それは、ごく自然な気持ちだと思います。
けれども、相手を自分の思いどおりに変えることはできません。
そして、相手が変わるのを待っている間、自分の心まで相手の言動に預けてしまう必要もないのです。
相手の言葉をどう受け止めるのか。
どのような気持ちで向き合うのか。
何を大切にして、どんな行動を選ぶのか。
そこには、自分自身の自由があります。
これは、相手に何をされても我慢するという意味ではありません。
必要であれば、きちんと自分の意思を伝える。
距離を置くこともあれば、状況を変えるために行動することもあるでしょう。
ただ、その行動を、不安や怒りに飲み込まれた状態から選ぶのか、それとも、自分の内側に静けさを持ちながら選ぶのか。
その違いは、とても大きいように感じます。
自分の内側が変わると、現実との関わり方が変わる
私は、現実創造というものを考えるとき、自分の意識のあり方をとても大切にしています。
私たちは、外側の出来事によって感情が決まると思いがちです。
良いことが起これば幸せ。
嫌なことが起これば不幸。
けれども、同じ出来事を経験しても、それをどう受け止めるかによって、心の状態は変わってきます。
そして、心の状態が変われば、そこから生まれる言葉や行動も変わっていきます。
以前なら感情的に反応していた場面で、落ち着いて対応できる。
不安から選んでいたことを、今度は自分の望む未来を思い描きながら選べる。
相手を責めることに使っていたエネルギーを、自分が本当に大切にしたいことへ向けられる。
そんな変化の積み重ねが、経験する現実を少しずつ変えていくのではないでしょうか。
現実を変えることは、必ずしも外側の世界と闘うことではない。
自分の内側のあり方が変わることで、現実との関わり方そのものが変わっていく。
私は、そんなふうに感じています。
穏やかでいられない日があってもいい
ここまで書いてきましたが、私自身、いつも穏やかでいられるわけではありません。
瞑想をしていても、雑念ばかりで終わる日があります。
正直なところ、座ることさえ嫌になる日もあります。
日常の中で、気持ちが揺れることもあります。
それでも、以前とは何かが違う。
気持ちが揺れたとき、その揺れに気づける。
そして、いつまでもそこに留まらず、自然と静かな自分に戻ってこられる。
そんな感覚が、少しずつ育ってきたように思います。
大切なのは、いつも穏やかな自分でいることではないのでしょう。
怒りを感じてもいい。
不安になってもいい。
思いどおりにならない日があってもいい。
そのたびに、自分を責める必要はありません。
ただ、今の自分に気づき、また静かなところへ戻ってくる。
その繰り返しでいいのだと思います。
幸せとは、何も問題が起こらないことではない
以前の記事で、私は「世界が変わったというより、世界を経験している自分の感覚が変わった」と書きました。
今回お話しした心の反応の変化も、そのひとつです。
人生には、嬉しいこともあれば、思いどおりにならないこともあります。
すべての出来事を、自分の望むようにコントロールすることはできません。
けれども、どんな出来事の中でも、自分の内側にある静けさを思い出すことはできるのかもしれません。
そして、その静けさの中から、今できることを選んでいく。
幸せとは、何も問題が起こらない人生を手に入れることではなく、さまざまな出来事の中でも、自分らしく、心豊かに生きていけることなのかもしれません。
瞑想を続ける中で、私が感じている変化は、そんな日常のささやかなところに表れています。
特別なことが起こらない日も。
少し気持ちが揺れた日も。
今日という一日を、できるだけ幸せに生きていく。
私にとって、瞑想はそのための大切な時間になっています。