瞑想の中ではできるようになったけれど、日常(目をあけた世界)に戻ると難しい…そんな経験はありませんか?
瞑想や自己変革の実践を続けていくと、誰もがいつか「自分には、それを受け取る価値があるのだろうか」という問いに直面します。
それは瞑想の最中かもしれないし、ヒーリングを受けているとき、あるいは自宅での日々の実践の中かもしれません。
私たちは往々にして、この「自分には価値があるか」という問題を、過去のトラウマや自分に対する思い込み(「どうせ自分なんて」というストーリー)と結びつけてしまいがちです。その結果、せっかく変わろうとしているのに、結局は「古い自分」にしがみつくための言い訳にしてしまうのです。
言葉というものは曖昧で、誤解を生みやすいものです。だからこそ、こうした複雑な概念を本当に理解するためには、まずそれが何を意味しないのか(何が間違いなのか)」から紐解いていくのがベストな方法でしょう。
目次
「自分には価値がある」とは、どういう意味ではないのか?
1. 「因果応報」や「自己責任」の話ではない
私たちはよく、価値というものを「自業自得(因果応報)」の文脈で捉えがちです。「良いことをしたから報われる」「悪いことをしたから罰が当たる」という見方です。
しかし、ここでの「価値」は、決してそのような罰や義務のような意味ではありません。もしあなたが、深刻な病気、苦しい人間関係、あるいは経済的な困窮をきっかけにこのワークに出会ったのだとしても、「価値があるかどうか」という話は、「今の苦しい状況は、あなた(あるいは誰か)のせいだ」と責めるものでは絶対にないのです。もしそう考えてしまうなら、それは自分に対して愛や慈悲の心を持っていない証拠であり、「自分には価値がある」と認めることとは真逆の行為(自己否定)になってしまいます。
2. 「~してもらって当然」という権利意識(甘え)ではない
ポジティブなアファメーションや、すぐに結果が出ることを求める現代のカルチャーにおいて、人は「受け取る準備ができている状態」と、「自分にはそれをもらう権利がある」という傲慢さを混同しがちです。「これだけ望んでいるんだから、手に入って当然だ」という感覚です。
これは一見、些細な違いのように思えるかもしれませんが、このワークの最も核心的な分岐点です。「何かが欲しい」と執着し、必死になって追い求めるのは、目に見える物質世界(3次元の現実)の力技で状況をコントロールしようとする行為です。そこには本当の意味での内面の変化や時間(エネルギー)の投資はなく、ただ「私の願いを満たしてほしい」と結果だけを催促している状態なのです。
この「権利意識(~してもらって当然)」の罠にハマっているとき、人はよくこんな風に愚痴をこぼします。
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「なぜ、私の病気はまだ治らないの?」
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「どうして理想のパートナーに出会えないんだろう?」
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「なぜ憧れの仕事に就けないの? どうしてこんなに時間がかかるの?」
なぜだと思いますか? 答えはシンプルです。
あなた自身が何ひとつ変わっていないからです。
毎日瞑想をしていても、そこから立ち上がるときには「昨日までの自分」のままなのです。
そんな不満を漏らしているのは、古い自分のままのあなたです。
「すでに癒されて、感謝に満ちている自分」
「自分自身を心から愛せるようになり、すでに理想のパートナーを引き寄せている自分」
「新しいキャリアにワクワクしている自分」
これらのみずみずしい未来の自分から、今のあなたは完全に切り離されて(分離して)しまっているのです。
変われないままの古い自分が、次のような建設的な問いを自分に投げかけることはありません。
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「望む未来に近づくために、私は自分のどんなところを改めるべきだろう?」
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「思考、行動、そして感情のレベルで、どうすればその未来の自分になりきれるだろう?」
彼らが本当に言っているのは、こういうことです。
「私が欲しいものは、今の自分とは別のところにある。こんなに頑張っているのに、どうしてまだ手に入らないの?」
この視点こそが、「自分にはそれがない(不足感)」という分離の意識をさらに強めてしまいます。望む未来を、手が届かない遠くのものにしてしまうのです。
私たちが言う「価値」とは、このような分離や距離のことではありません。価値とは、本来「すべてと調和し、深くつながっている状態(一体感)」のことなのです。
また、「自分には価値がある」というのは、特権意識や「自分は特別だ」とエゴを膨らませることではありません。
この実践において、あるいはこの世界において、誰かが誰よりも優れているなんてことは絶対にありません。性別、社会的地位、人種、信仰、あるいはそれ以外のどんな「肩書き」も関係ありません。
価値とは、実績に応じたご褒美(成果主義)ではないのです。
「私は特別扱いされるべきだ」と声を大にしてスピリチュアルな結果を求める人ほど、実は外側の世界(他人の目や環境)に振り回されており、内面には強い不安を抱えています。
これもまた、周囲との間に壁を作る「分離」の一種です。価値というものは、そうした傲慢さとは真逆の、「謙虚さ(素直に受け入れる心)」の中にこそ宿るものなのです。
日々の実践の中で「自分には価値がない」という思い込み(自己否定)はどう現れるか?
では、ここまでお話しした「価値の誤解」が、私たちの日常でどのように足を引っ張るのか(抵抗として現れるのか)を見ていきましょう。
何よりもまず、自己否定は「強烈な心理的抵抗(めんどくささ、言い訳)」として現れます。朝、瞑想のために早起きしたくないと感じるあの瞬間。それこそが、あなたの内なる自己否定です。
瞑想中に頭の中で囁く、こんな声に心当たりはありませんか?
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「やり方が間違っているんじゃないか」
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「きつすぎる」
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「座りっぱなしで膝が痛い」
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「呼吸のワークはサボってもいいや」
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「今日はやることが山積みだし……」
それらはすべて、変化を拒む「抵抗」です。そしてこの抵抗は、瞑想のときだけに現れるわけではありません。
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「ジムに行く約束をしているけれど、今日はサボっちゃおう」と自分に言い訳するとき。
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パートナーや子供たちと大切な会話をする代わりに、スマホのSNSを何時間もダラダラと眺めているとき。
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悪い習慣を直すと自分に誓ったはずなのに、「明日からでいいや」と先延ばしにするとき。
これらはすべて、古い自分に引き戻しようとする「抵抗」であり、あなたの中の「どうせ自分なんて(無価値観)」を育てるエネルギーになっているのです。
自己否定は、未知の世界への恐怖、規律のなさ、不快になった瞬間にやめてしまう弱さとして姿を現します。コンフォートゾーン(慣れ親しんだ枠)から一歩も出ようとせず、「なぜ奇跡が起きないのか」と愚痴を言う。
そして、無意識にいつもと同じ思考、いつもと同じ行動、いつもと同じ感情を繰り返し、結果として「これまで通りの、慣れ親しんだ不満やイライラ」をわざわざ再生産してしまうのです。たとえそれが望まない現実だと分かっていても、人間は「知っている過去(安心な現状)」を再現しようとしてしまいます。
結果として、自己否定は、過去の延長線上にある「いつもと同じ未来」を創り出し続けてしまうのです。
「本当の価値」とは、未来への招待状
新しい未来を創り始める前に、私たちはまず「今の自分」と和解する(ありのままを許す)必要があります。
それはつまり、過去を手放すということ。そして、過去に縛られた無意識の思考・行動・感情のすべてを洗い流すということです。
今この瞬間に、心を開き、好奇心を持ち、すでにここにあるものへ感謝しながら、「未知なる豊かな現在(いま)」に、自分のすべての意識とエネルギーを注ぎ込むのです。
「古い自分」と決別し、新しい現実とつながった「新しい自分」に生まれ変わるんだという、妥協のない強い意志を持つこと。それがスタートラインです。
ですから、私たちが言う「自分には価値がある」とは、今この瞬間の自分を、愛と慈悲の心で丸ごと受け入れることに他なりません。
起きている現実を、感謝と謙虚さを持ってそのまま認めること。古い自分を乗り越えたからこそ、「私はこの新しい未来を受け取るに値する人間だ」と、お腹の底から信じることです。知っている世界(過去)の殻を破って、未知の世界(未来)へと一歩を踏み出し、そのための自分の努力を「よくやった」と認めてあげること。
それは、日々の誘惑や抵抗に打ち勝ち、このワークを通じて、毎日コツコツと自分のために時間を使ってあげる(自分を大切にする)ことそのものなのです。